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執筆者の写真Tadayoshi Honda

1990s(MEMBERS ONLY)

[社会情勢・時代背景] 

1991年に湾岸戦争が始まり、年末にはソ連が崩壊。92年にはアメリカ、ロサンゼルスでは大規模な人種暴動が起きました。数日間の暴動ではあったが、単なる黒人と白人の対立にとどまらず、ロサンゼルスという多人種都市において様々な人種を巻き込んで広がったこと、また被害がきわめて大きかったことなどから、多くの映画や小説でも描かれました。

ヨーロッパでは「EU連合」が発足。世界は情報・通信などあらゆる面 で一体化を強めていきます。アメリカの影響力がきわ めて強大化し、アメリカの基準が世界の基準であるかのようなアメリカ中心のグローバリズムに対して、EU諸国や南米などから反グローバリズム の動きが強まりました。90年代後半からはIT化とインターネットの爆発的普及により現在のようなネット社会の時代が始まりを告げようとしていたが、日本では90年代を「失われた10年」と作家の村上龍は表現すしました。経済面では、1980年代末期から続いていたバブル経済が1990年~1991年に破綻、平成不況と社会不安の一方、ポップカルチャーでは現在の形にほぼ完成された時代となりました。

[ファッション]

90年代はファッション産業のグローバル化が進んだ時代でした。

世界のファッション産業は89年のベルリンの壁崩後「大移動期」に入っていきます。

グローバル化の進展は企業の生産拠点を東欧や中国などアジアに生産拠点を移すことを可能にし、より低賃金で労働力を手に入ることが可能になり、途上国側も外資を導入して輸出産業の振興に乗り出していきます。90年代はIT革命が起こる時期でこの革命はファッションにも大きな影響を与え、流通システムにおける効率化が進み製造から製品が消費者に渡るまでの無駄を省くことにより、原料から最終的に製品が消費者の手元に届くまでのリードタイムの短縮と在庫の削除、コストの削減と経常利益の増加を達成することが成功のキーとなっていきました。

80年代ファッションの特徴、ポストモダンや派手な装飾はよりシンプルなデザインへと変わっていきます。またファッションビジネスもグローバル化の中で、その様相を変えてました。主には、企業戦略、マーケティングなどをメインに置いたデザインで、ライフスタイルをベースにしていました。企業の規模が大きくなるので、より有用性を重視した、リアルクローズが多くを占めるようになり、ミニマルでよりカジュアルなものへと変わっていきます。60、70年代のリバイバルし、ストリートカルチャーがファッションに影響を与え、90年代前半にはグランジファッションが流行しオーバーサイズのゆるいシャツにジーンズスタイルが男女共に主流になっていきました。

『時代を変えた3人のスーパーモデルたち』

90年代はファッションの黄金期であり、同時にモデルという職業の概念を変えた時代であったと言われています。 まず、ナオミ・キャンベル、クリスティ・ターリントン、リンダ・エヴァンジェリスタが三位一体としトップモデルとして君臨した後に、シンディ・クロフォード、クラウディア・シファー、そしてケイト・モスが加わっていきました。

この6人のスーパーモデルたちは「Big Six(ビッグシックス)」と称され、女優やセレブ同様に憧れの存在とし、爆発的な人気を誇りました。


『ジーンズ』

70年代後半から90年代半にかけてファッションデザイナーによってジーンズは急速に取り入れられました。90年代半ばから後半にかけてはプレミアムジーンズが登場。アメリカ西海岸から発信され、ハリウッドなどのセレブやスターが着用したことから、セレブジーンズ(セレブデニム)などとも呼ばれました。プレミアムジーンズの代表的なブランドはディーゼルのほか、マリテ+フランソワ ジルボーセブンフォーオールマンカインドシチズンズ・オブ・ヒューマニティトゥルーレリジョンG-STAR RAWなどで、バックッポケットにそれぞれのブランドによる凝ったデザインの刺繍やプリントが入っていたり、クラッシュやペイント、リメイクなどの加工が施され、レディースからの流れであることからか細身で股上が浅いものが多組みられました。

『ヘルムートラングのミニマリズム』

ヘルムート・ラングが、「ミニマリズムの旗手」と呼ばれていました。

80年代後半あたりから装飾的なものや技巧的なものを排除し、最限の手法でシャープなスタイルを提案し、多くのデザイナーに影響を与えました。

ヘルムートラング自身がデザインし発表していたメンズジーンズは今もなお名作と言われています。シンプルなデザイン自体は、アルマーニやジル・サンダーも早くから取り入れていましたが、「ミニマリズム」と言われるものを完全な形にしたのはヘルムート・ラングと評され、アルマーニはミニマリストと言うよりは、機能性を追及した結果シンプルになったという印象でミニマリストとは表現されないことが多い。

※ミニマリズムとは美術・建築などの造形芸術分野において、1960年代のアメリカに登場した傾向で、必要最小限を目指す手法を指します。ファッションにおいてのミニマリズムは、90年代に主流となりました


アントワープの6人」(Antwerp Six)

ベルギーアントワープに位置するアントワープ王立芸術学院出身の、アン・ドゥムルメステールウォルター・ヴァンベイレンドンクダーク・ヴァン・セーヌダーク・ビッケンバーグドリス・ヴァン・ノッテンマリナ・イー以上の6名のファッションデザイナーの総称である。マルタン・マルジェラも学校が同期でこれと並び称されることが多い。1980年代当時のパリコレクションで一世を風靡していた「コムデギャルソン」(川久保玲)の影響を受けた6名。1980年代後半、6名が共同でロンドンの「The BritishDesigner's Show」にてコレクションを出展、それが注目を集めたことをきっかけにこう呼ばれるようになった。以後、アントワープ発のモードは世界中から注目されるようになります。


アントワープの6人と呼ばれた世代を中心に、ラフ・シモンズヴェロニク・ブランキーノ ・オリビエ・ティスケンスが活躍します。ロンドンからは、アレキサンダー・マックイーンフセイン・チャラヤンステラ・マッカートニなどが登場します。90年代はファッション全盛期で数多くの才能溢れたデザイナーが活躍しました。


『グランジ・ファッション』

グランジファッションとは、1990年代前半に流行したグランジ・ロックから派生したファッション。もともとグランジー(grungy:汚い)という俗語が語源で、アメリカのファッション誌が命名しました。代表的なアイテムは、着古して擦り切れたフランネル地のチェックのシャツやぼろぼろに穴の開いたジーンズや古ぼけて穴の開いたカーディガンやスニーカー等。その他、着くずしや重ね着などが特徴。

ニルヴァーナとグランジ

へヴィメタルやUSハードコアの流れを組む音楽はグランジロックと呼ばれ、ニルヴァーナはその代表的なバンドの一つ。グランジファッションはニルヴァーナのヴォーカル、カート・コバーンらのしていたファッションが一つのイメージとして確立されアメリカのシアトルから広まっていきました。


マルジェラとグランジファッション

ハイファッションでは80年代後半にマルタン・マルジェラが打ち出しスタイルがグランジファッションの先駆と言われています。背景には消費社会を象徴するファッションのシステムへの疑問があり、そこからリサイクルなどの動きがでてきます。これをファッションの中で打ち出したのがマルジェラでした。マルジェラは80年代前半のヨウジ・ヤマモトコム・デ・ギャルソンの影響を受け、古着を素材に、衣服を再構築した「シャビールック」で、ファッション界に衝撃を与えました。 この動きにより、80年代の保守的かつ、ゴージャスな流れが変わったと言われています。マルジェラは80年代後半デビュー時から質素、シンプル、シャビー、知的といった清貧思想的なイメージを作り出します。このような反体制的なスタイルは、70年代のパンクなどと少なからず共通するものがありました。また、マルジェラは、これまで新しいスタイルを提案するというファッション業界の既成概念を崩して、既に発表したコレクションを、過去に発表したもので構成し、それぞれの作品に制作の年を入れるといった試みも行いました。

※シャビールック(shabby look):高級志向の1980年代のアンチテーゼとして、マルタン・マルジェラが80年代の終わりに打ち出した貧困者風のスタイル。色あせたり、ほつれたり、わざと古着風に仕上げるなど、新しい価値観をもったファッションが注目され、90年代の新しい流れを作り上げた。


『ヒップホップ』

80年半ばから90年半ば頃までヒップホップの全盛期をむかえ確固たる地位を築き現在に至ります。ファッションとしての特徴はトレーナー、ゴールドチェーン、スニーカー、トラックパンツがベース。またオーバーサイズのズボンは下着が見えるくらいまで下に落としたり、靴紐は締めないで履くスタイルは刑務所の中から生まれたもので社会に対する不平等を皮肉として表現し、人種問題なども含めこのようなスタイルはヒップホップのアイデンティティを示すものだったのです。90年代半ばに入ると、そのようなヒップホップも反体制の意思とは反し資本主義の中に引き込まれていきます。ラップミュージシャンはスターになりミドルクラスの白人も取り入ていきました。

また、日本でもヒップホップファッションが流行していきました。

Heroin chicとドラッグカルチャー

白い肌、目の下にあるクマ、骨格が浮き出るくらい細いの身体、ベタついた様な髪に濃い口紅。流行のきっかけは1993年にカルバン・クラインの広告にあまりに華奢なモデルが半裸状態で登場したことです。この広告写真は大きな反響を呼び、グラマラスな時代が終わりを告げました。この時のモデルが、ケイト・モスです。

彼女が代表するような骨格がとび出た細い体つき、また顔色が悪く、病的にさえ見えるルックスのことを「ヘロイン・シック」と呼ぶようになりました。

そして、ケイト・モスとヘロイン・シックこそが、次世代ファッションのキーワードになったのです。ヘロイン・シックな女性は、同時にウェイフ・ルックを好みました。「ウェイフ」とは元々「浮浪者」のような意味を持っていましたが、90年代には完全にファッション用語として定着し、主に女性を指す言葉になりました。「ウェイフ」と「ヘロイン・シック」に共通して言えるのは、健康的で清潔感のあるスタイルとは正反対である、ということです。勿論、シンディ・クロフォードに代表されるグラマラス・ボディとも無縁です。

ウェイフ・ルックが台頭してくると、ファッションそのものも、どことなくだらしなくなりました。健康的ではないこの流行に対して危惧する人は多く、当時のクリントン大統領も「アンチ・ヘロインシック」を表明しなくてはならないなど社会問題も同時に起きました。

-日本-

1991年のバブル崩壊により、80年代の派手な雰囲気も影をひそめ、後半になるにつれファッションやヘアメイクも落ちついた雰囲気の物が好まれるなど、変化が激しい時代になってゆきます。Tシャツやジーンズといった活動的でカジュアルなストリートファッションが好まれるなど、あまりお金をかけないファッションに以降しつつある時代になってきます。 しかし若者は勢いがあり「コギャル」と呼ばれていた当時の女の子達は、「茶髪」、「厚底ブーツ」、「ガングロメイク」、「ルーズソックス」などの独自の流行を多く生み出しました。LAファッションや ヒップホップファッション、 グランジロックファッション、スケーターファションなど音楽やスポーツ界のファッションが注目されました。

シャネラー

フランスの女性ファッションデザイナーが興したブランド『シャネル(CHANEL)』に人化する英語の接尾辞『-er』をつけたもので、シャネルのブランド商品を好んで身につける人のこと。服から小物、アクセサリーまで、全身をシャネルで固めた人や大量にシャネル商品を購入する人をさす。後に「アムラー」や「シノラー」など、『-er』を付けて人化する言葉がいろいろ出てくるが、シャネラーはその先がけ。


やまんばギャル

あむらー等ギャル系のブームが流行った90年代でのギャルの最終形態。ガングロと呼ばれ全身を日焼けサロンで黒く焼き目の周りを白いメイクをしている。日焼けサロンも「日サロ」と呼ばれブームとなったが、後の美白ブームで一気に現象の一途をたどった。このころからギャルという言葉が定着し、コギャル、ギャルママ、お姉ギャル、ギャル男等様々なものが出てきます。


[メイクアップ]

90年代のメイクアップは、メタリック、パールなどを使った金属的、機械的、未来的なマテリアルを表現したメイクが雑誌や広告で多く見られましたが、ケイト・モスの登場でユニセックスなメイクが流行となります。個性がその価値を認められるのと同時に、それまでのセクシーで画一性の美が変化していきます。CK-ONEなど男女兼用の香水がヒットし『メイクをしないメイク』と言う言葉が生まれました。女性は自然に美しく見せることを願い、従来の化粧品から離れていきM・A・Cやメイクアップアーティストによるメイクが人気を博しました。細眉やコントアリングの火付け役とされたメイクアップアーティストのケヴィン・オークン。その他にもボビィー・ブラウンヴィンセント・ロンゴナーズ達はmodel達からは絶大な支持を得ていました。


-ファンデーション-

自身のスキントーンのマットファンデーションにマットなパウダーで仕上げたり、サテン/マットな質感の肌にコントアリングで立体感をつける。

スーパーモデル達のような品のある日焼けした様な肌、もしくはペールなゴス(goth)/グランジ(grunge)なスタイルもみらレました。


-チーク-

ニュートラルな色のチークやブロンザーでチークボーンを際立たせるコントワが流行。


-眉毛- 

90年代メイクと言えば細眉。クリーム色をブロウボーンのアーチに沿ってに柔らかく入れ、眉ペンシルで細く高いアーチに眉を仕上げる。




-アイメイク- 

90年代で思い浮かぶパステルブルーのアイシャドーに加えマットなアーストーンのニュートラルな色のナチュラルなLOOKが好まれる。イブニングルックにはsuper model達に憧れた女性たちはマットブラウンや黒のしっかりめのスモーキーアイに仕上げた。


-まつ毛-

マスカラは上下ともに使われるが、濃くボリューミーにはせず、ナチュラルめでセパレート仕上げな睫毛。付け睫も長めでセパレートタイプが多くみられる。


-口紅-

自分の唇よりも2トーン暗めの色のリップスティックは場面を選ばずに流行しました。

人気色であったマットな赤、プラム、ブラウン、モーブで塗ったリップを、ソフトブラウン系のリップライナーで囲んだ。リップライナーは90年代makeupでは忘れられないエレメントで、90年代後半からはグリッターやシマーの流行から光沢のある仕上がりが人気になる。


-ネイル-

形はsquare, squovalで短め。何も塗らないものからフレンチネイルやナチュラルなカラーのシンプルなスタイルや、グランジに影響を受けた暗めの色(black, dark purple etc)が流行。また女性ラッパーやヒップホップ界隈ではかなり長めのアクリルネイルも流行した。


[ヘアー]

90年代はインターネット等、通信技術の普及などにより、情報化社会へ突入した。様々なTV番組による情報や、多くの雑誌(ファッション誌~マニアックなカルチャー誌)が創刊され、情報を得やすくなり、人々は自分に合う様々なライフスタイル、新しいカルチャーや新しい価値観を探しセレクトするようになりました。ファッションにおいては、60年代から続いてきた多様化の波がピークを迎えヘアメイクにおいてもより洗練され新しいスタイルが生まれました。また、80年代の流れから引き続き、ヘアメイクの役割によりコンセプチュアルなものとなりました。例えば音楽シーンではMTVによるコンセプト造りやイメージ戦略によりミュージシャン達は音楽性や同じ歌手でも(例えばマドンナやデビッドボウイのように)新しい曲を出す度にその世界観に合わせてヘアメイクを変えるなど主要なものと認識されていきました。

映画やドラマの世界でも同様で役柄や時代背景、キャラクターのイメージに合わせ、時に長い髪をピクシーカットにするなど大胆なチェンジを図りました。人々は、好みのミュージシャンや女優に感化されヘアをカットしたりアレンジするようになります。この影響の対象は、他にスーパーモデルや文化人等、多岐にわたる。これまでは、「この髪型にしたいから切る」といった傾向であったが「この憧れの人に近づきたい」から切るというマインド的なものの変化も80年代からより顕著になりました。


<ミニマリズム>

90年代初頭は80年代後半に支持されたソバージュが引き続き人気を継続していました。

ボリューム感、シルエットや質感によっておしゃれでカジュアルなデイリースタイルからジャネットジャクソンのようにアーティスティックな印象を持たせるなど、幅広いイメージを人々に与えました。やがてソバージュはカールがフルウェーブから毛先のみのウェーブスタイルになっていき、最終的にストレートスタイルへ新鮮さを求められるようになります。

これは80年代はゴージャスで力強いデザインが求められていた事への反動もあり、90年代はシンプルでミニマムなスタイルへ注目が集まっていきました。80年代後半、ボディコンシャスなスタイルと合わせてストレートのワンレングススタイルが一部見られるようになったが、90年代はスーパーモデル施風と共に注目されたレイヤーを顔まわりを中心に入れ、より都会的で空気感を感じる軽やかなスタイルが注目を浴びるようになります。

丁寧にブローされたシャイニーな質感から70年代ヒッピーがリバイバルしたことでネオヒッピーのアイコンだったヴァネッサパラディのようなナチュラルにそよ風にゆられるような質感、大人ガーリーに身を包んだジェニファーロペスのようなセクシーな顔まわりの表情などを演出していきました。


<グランジヘア>

90年代前半、シアトルから巻き起こった音楽ムーブメント発祥で最たるアイコンはニルバーナのカートコバーン。グランジとは元々grungy=「汚い」という意味の俗語であるが、カートは単に汚くするとは違いあえて汚れたTシャツ、ダメージさせたものや使い古したものをチョイスし着崩していたが若者やビッグメゾンのデザイナー等に大きな衝撃を与えたほどの影響力がありました。きれいにまとまっているというよりボサボサでラフな動きがあるのが特徴で、肩にかかるセミロングがカートのイメージ。数日洗ってないようなオイリーな質感やドライな風合いも見られました。女性のグランジのアイコンはケイトモスで不均一なウェーブやムラ感のあるカラーにレイヤーが入って柔らかな動きを感じるスタイル。広告に見られたようなほとんで手をつけない、ベッドから起きぬけでそのままの飾らないスタイルで、後のエフォートレスにつながるナチュラルなヘアも注目を浴びました。

カートコバーンのパートナーであるコートニーラブも大標的で無造作なブリーチヘアがグランジっぽさを印象づけました。これまでのトレンドと違い自然な空気感とやわらかな質感、自分の元々のクセ毛さえも味方にし魅力的でアンニュイさや色っぽさを演出するという傾向も生まれました。アップスタイルも自分で手グシでざっくりとまとめたようなこれまでにない新しいスタイリングへの概念が生まれたものこの頃で、最も「抜け感」が出ており、よりパーソナルな印象を与えました。ヘアをキメすぎない事のクールさと未完成の美しさによって新たな美しさの概念ができ、多くの若者に影響を与え、ワイルドなスタイルに挑戦するきっかけとなった。


<ピクシーカットとショートレイヤー>

90年代も様々なショートカットが流行したが、これまでのヘアスタイルのフォルムを示すのではなくアイコンに因んだ〇〇風ショートというような憧れからトレンドにも繋がり、そのバリエーションも多岐に渡りました。

ロイヤルショート

ダイアナ妃 : 世界中の女性に影響を与えたスタイルで、ヘアスタイリストのサム・マックナイトが手がけました。マッシュベースのサイドグラデーションスタイルでトップから短めのハイレイヤーが入っておりフロントからサイドにかけてひし髪フォルムのシルエット。

ダイアナ妃のイメージによりエレガントかつカジュアルなスタイル。


ショートレイヤー

ウェノナライダー:90年代のショートがこれまでと違うのは、軽やかなレイヤーベースで軽さに抜け感を感じるスタイルで、当時のショートスタイルの絶対的なアイコン。

短いながらも毛先を動かしたりしてシックでエッジの効いたスタイリングやユニセックスで少年のようなあどけなさに加え、女らしくセクシーな表情を見せました。

レイヤーベースで毛先はフェザーのように軽くコンパクトな中に束感もあり無造作感が当時のトレンドとリンクして、当時の若い女性に支持されました。



クロエ・セヴィニー: デビュー作『KIDS』で動きやハネでおしゃれでボーイッシュなピクシーカットや96年MIUMIUの広告ビジュアルでのスタイルなどによって仕事が舞いこみスターダムにのし上がった事もありヘアにかける影響力を大きく示しました。

『KIDS』でのヘアの特徴はサイドパートで額が広く見えるようにサイドに流し、えり足にハネ感をつけて抜け感とボーイッシュな中にガーリーさを加えたスタイル。

リンダエバンジェリスタ: スーパーモデルの1人で、アメリカ版『エル』のカバーをショートヘアでデビューを飾りアナウィンター就任以来最もUS版『Vogue』のカバーを飾りました。ブレイクのきっかけはフォトグラファーピーターリンドバーグに勧められ、ジュリアン・ディスがヘアカットを手がけました。以降、プラチナブロンド、オレンジ、モッズカットなど様々なカラーやスタイルを変え様々な魅力を放ちました。当時はロングヘアが主流のモデルたちの中で、思い切った決断をした結果、オファーが次々と舞い込み翌シーズン、ショートヘアが注目を浴びるきっかけとなりました。ギャルソンヌのように妖艶に、または少女っぽくにも様々な女性像を表現することができカメラマンやデザイナーにとってのアイコンとなりました。他にステラテナントやマドンナのようなマスキュリンなベリーショートも人気で、躍動的に毛先を動かしたグウェンステファニーのショートも注目されました。


<90年代ボブ>

90年代のボブは過去のように一貫した方向性ではなく、パーソナルに反映したり役柄や演出する女性像によってこれまでのボブの経験値より選び、自身にフィックスさせていった。

LEON』でのナタリーポートマン扮するマチルダヘアは代表作。重めで絶妙な長さでプツッと切られたえり足ギリギリのワンレンボブに幼さが見え隠れするベビーバングスがポイント。後に度々アイコンとして引き出される事になりました。キャメロンディアスはシンプルなボブで同じくブラントであるものの過去のボブと違うのは正面から見た時の厚みがうすくなっておりコンパクトで軽やかな印象。映画でのキャメロンのスマイリーで明るいイメージをリンクしました。


95年は映画生誕100周年目でシネマモードにスポットが当たり、とりわけ50年代がフィーチャーされます。また、95年のシャネルのコレクションでは50周年のジャクリーヌケネディがアイコンとして注目されます。メグライアンのボブは軽やかで毛先にシャギーが入りつつ、外羽にしたスタイルも永く脚光を浴び、これまでのシンプルなボブと違い、斬新な毛先は印象的。ナオミキャンベルのボブ重さがあるが、レングスが短い事でバランスをとったクラシカルなスタイル。スパイスガールズヴィクトリアがしていた前下りのボブはコンパクトでシャープな質感でアーティスティックなイメージをつくり『パルプフィクション』でのユマサーマンのボブは前下がりの重めのアゴ下レングスであるが、短めのバングはエッジィでエキセントリックなイメージを与えつつ黒髪にすることでよりセクシーさとミステリアスさも合わせもったイメージを表現しました。90年代のボブに共通していて、これまでのボブと違うのは顔まわりがコンパクトであり揺れる軽さがあることで、よりフィット感が高まりパーソナルな印象をより強固にしました。これまでのように一貫した1つのトレンドではなく、求める女性像によってフォルムとレングスが選ばれました。



<スーパーストレート>

ボリュームスタイルの80年代のムードも陰りを見せストレートなヘアが注目をあびました。

真っ直ぐなワンレングスは日本でも大流行したが、スーパーモデル等のようなシンプルでありながら、手入れにしっかりと手間がかけられたその質感は憧れの的でした。

当時の男性受けもよく代表的なスタイルでした。


前髪

カーラーを巻いて寝たようなカールしたバングが人気を得ました。

ロールブラシでしっかり根元~中間を立ち上げ、最後にヘアスプレーで仕上げました。


外ハネ

 ロングスタイルでも外ハネがブームになり、顔まわりをハイレイヤーにして顔まわりやボトムを外ハネにすることで軽やかさやエアリー感などでこなれた感を演出しまし、エフォートレスでさりげなく無造作であることのおしゃれ感を印象づける一助となりました。


<ヘアカラー>

90年代、髪色そのものも薬剤の進化でより表現しやすくなりました。

特にハイライトはファッショナブルなデザインやミュージックシーン等に見られ、多色使いで個性的なカラー等、デザイン性のバリエーションが広がりました。

髪全体に太めのハイライトを入れた「チャンキーハイライト」もトレンドの1つ。当時のセレブが多く取り入れました。当時の特徴は、現在の馴染むような入れ方ではなく根本からふと目のハイライトをしっかり入れているのがポイントで、セクションカラーも若いティーンの間で人気になり、ブリーチのみならず髪に明るい赤やオレンジやピンク等、ビビッドでインパクトのあるカラーもありました。

他にグランジルックの流行やMTVによってミュージシャンのビジュアルリーク、映画やドラマでの俳優のイメージコントロールに生要性が問われ、ヘアカラーでの表現は大きく進化ていきました。薬剤の進化もあり、鮮やかな、決して自然色では表現し得ないカラーで自己表現を楽み、レッド、ブルー、オレンジ、グリーン、ピンク等が登場した。


<ドレッドヘア>

90年代はコーンロウや、ブレイズ等の縮み系スタイルが黒人を中心に流行しました。

ドレッドは正しい説はないものの宗教的信仰が含まれている説があります。

最古で確認されているものとしては古代エジプトのミイラやレリーフや彫刻でみられ、世界の宗教や哲学に影響を与えた最古の文献『ヴェーダ』に出てくるシヴァ神とその崇拝者が神をドレッドにしていたと言われ、現在でも宗教的な信仰を表すものとして髪をドレッドや一部の信仰では「ドレッドは頭から抜け出るエネルギーを少なくおさえ、超自然的な肉体的、精神的エネルギーをもたらす」という信仰を持つ人々もいます。一般的に知られるきっか絵を作ったのはボブマーリーで強烈なインパクトをもったドレッドヘアとラスタの思想、ジャマイカという国を広く知らせることとなりました。90年代ではレニークラヴィッツKornレイジアゲインストマシーン等も一般への認知を広げました。

<ボックスブレイド>

ボックスブレイドは三角や四角にセクションをとり髪の根本をブロック分けして細いゴムでとめ、分け目を際立たせ編みこむスタイルでジャネットジャクソンが映画『ポエティックジャスティス』等でしていました。ジャネットがしている事でクリエイティビティやアーティスト性を印象付ける事となります。黒人にとっては編み込みスタイルはアイデンティティの1つであり、ブラックカルチャーにとって欠かせないスタイル。


<ブレイズ三つ編み>

R&Bがブレイクした事で注目され、アリシアキースブランディビヨンセが代表格。

また、80年代ヒップホップスタイルがファッションと共に再び話題となり拍車をかけ、細かな三つ編みのスタイル。コーンロウは頭皮に編みこみを加えるのに対し、ブレイズは毛束を編んでいくスタイルで、ブレイクダンス等を表現する「B系」ヘアの1つでヒップホップ系やダンサーにも取り入れられました。ブレイズは髪を小分けにしてからそれぞれを三つ編みにし、エクステを加えたりする事もある。また、ブリトニスピアーズのようにキュートな大人の三つ編みのおさげも流行しました。


<ネオパンク>

パリやロンドンで当時深刻な経済不況から政治不信が起こり、70年代の社会状況と酷似している背景からグリーンデイを筆頭にネオパンクが流行しました。オリジナルと比べ、ユニセックス化されたスタイルで、90年代の女性パンクではブリーダーズコートニーラブ率いるホールが代表格であるが、当時より全面的にパンク精神を打ち出したものの中にRiot Grrrl(ライオットガール)というアンダーグランドハードコアムーブメントと言え、パンクとフェミニスト精神を結びつけました。


<ツインハーフアップ>

 前髪と一緒にトップで2つに分けて結ぶスタイルで幼さを感じさせるスタイルも人気に。


<ジェルカール>

 90年代に続いて、スタイリング剤を大量に使用するトレンドは続き、多くのセレブがジェルをしっかりつけてウェットな質感が取り入れられました。

リルキムやジェニファーロペス等がウェーブヘアや前髪などが代表的。


<スペースバン><ツインおだんご>

 ミッキマウスを思わせるツインのおだんごヘア。

ビョークやグウェンステファニー等が定番でしており、高さを変えることでイメージを多少調整できたキュートでカジュアルな印象。


<ポニーテール>

 高い頭頂部分にポニーテールを作るのがポイント。

バングはオールバックにしてモード性やストリート感、時にエレガントさを演出。

また、うすく前髪を下ろして、キュートな印象を出すこともありました。


<ヘアアクセサリー>

普通のアップ以外にも、短めの髪を無理矢理ピンやゴムでまとめるアップスタイルも流行。

クレアディンズのようにショート~セミロングくらいの長さの髪をお団子や結び目をたくさん作ることキュートに仕上げ流行しました。


スナップクリップ(パッチン留め)

顔まわりがキュートな印象になり、若者たちのアイコン的なアイテムでセンターパートにして左右に留める事が多くみられました。


バンスクリップ

テクニックがなくても手軽に髪をまとめられ重宝され、アップにまとめたりハーフアップにする等、その手軽さで流行しました。

バタフライクリップ

ポップで存在感があり、90年代では前髪を後ろにねじってバタフライクリップでとめるアレンジが人気でした。


シュシュ

手軽に愛用する人が多く、手首につけてアクセサリーの代わりにするなど幅広く使われ、ハイポニーやシニヨンと合わせたりして手軽にアレンジを楽しまれました。

カチューシャ

 コーム型のカチューシャはクリーンで手入れの届いた印象で人気でした。


-日本-

ドラマやファッション誌が大きな影響を与え、出演する俳優やモデルが注目されました。

この頃から人は自分らしいヘアスタイルにこだわるようになり、理容室よりも美容室を選ぶ男性が増えていきました。ヘアは80年代からのトサカ前髪、ワンレンやソバージュ等が引き続き流行っていたが、後半は、レイヤーやシャギーがキーワードになります。またヘアカラーの技術革命と薬剤の進化により、デザインの幅が広がり、多様なスタイルに対応できるように向上していきました。最終的には1人1人の志向やライフスタイルにフィットさせる「似合わせ」というワードが重要化し、より、個の主張が重視される時代になりました。


[インスパイア画像] https://pin.it/LL3G5zK


[映画]

[その他の映画] https://pin.it/6mf1GMw



[音楽]

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