[社会情勢・時代背景]
1980年代は国際情勢が大きく動いた時代でした。 イギリスのマーガレット・サッチャー、アメリカのロナルド・レーガン、日本の中曽根康弘など、新保守主義が台頭し、現在まで続く自由主義経済・グローバリゼーションが本格化を見せる時期でした。
また、70年代に一時東西対立が融和していた冷戦体制が80年のソ連のアフガニスタン侵攻により激化。しかし、ソ連の社会主義型経済構造の限界と85年にゴルバチョフが書記長に就任し掲げた「ペレストロイカ」の影響で、東ヨーロッパ諸国の民主化運動が激化し89年11月にはベルリンの壁が崩壊。民主化が一気に進むと同時にバルト三国の独立にまで波及しました。89年12月、「マルタ会議」において約44年続いた冷戦が終結し、91年にソ連は崩壊しました。 アジアでは韓国、シンガポール、台湾、香港などが経済成長を遂げている一方で、北朝鮮による大韓航空機爆破事件(87年)、中国で天安門事件(89年)が起きるなど、冷戦構造を温存した事件が起きたり中東でのレバノン内戦(75〜90年)、イラン・イラク戦争(80〜88年)などがあり不安定な時期でした。
80年代の日本経済は高度経済成長期(1955〜73年)ほどではないものの、経済成長を達成していてアメリカやイギリス、ドイツ、オーストラリアなどの先進国各国がマイナス成長を記録する中、日本経済は安定成長期と呼ばれていました。85年、アメリカを中心としたG5がまとめた「プラザ合意」により円高ドル安が進行。円高不況が危惧されたが結果的には日本経済は回復し、87年から「バブル景気」へと突入していきました。また80年代はサブカルの時代とも言える程多様性に富んだ時代でした。80年代初頭「ニューウェイブ」と呼ばれるサブカル文化の旗手達が現れる。音楽ではYMO、漫画では大友克洋が脚光を浴び始めニューウェイブが始まりました。また、漫才、お笑い第三世代ブーム、スペースインベーダー、ファミコンブームでテレビゲームが流行り、ヤマト、ガンダムブームでアニメがそれぞれ若者文化の一部として確立し認知されていきました。現在のサブカルチャー全般はこの80年代に確立された各ジャンルがベースとなって発展していったと言っても過言ではないほど重要な時代である。1989年1月、昭和天皇が崩御され昭和から平成へと元号が変わりました。
[ファッション]
80年代はパープルやグリーンといった原色やグリッターカラーなど派手で鮮やかな色彩が人気でとにかくカラフルさが特徴でした。この時代、多くのサブカルチャーが誕生しファッションにも多大な影響を及ぼした。例えば83年頃に、ジェーン・フォンダが火付け役となり、エアロビクスが大流行。アメリカのエクササイズ感が世界で大きく受け入れられた。それによりレッグウォーマーやヘッドバンドが人気のアイテムとなった。これがスポーツファッションの始まりで、デザイナー達はポリウレタンを取り入れ、体にぴったりしてセクシーな上に着やすい服を作りました。
-当時のサブカル-
『ニューロマンティック』
70年代後半からパンクが停滞し始めた中、新たな刺激と表現方法を模索し始めた若者たちがロンドンソーホーにあるクラブ『ゴシップ』でスタートしたパーティーに集まるようになりました。その後、ビリーズ、ブリッツへと場所を変えたパーティーは、ロンドン随一の人気を誇るクラブイべントへと成長。そこには厳しいドレスコードがあり、派手な服や奇抜なヘアスタイル、メイクが必須でできるだけ個性的なファッションが良いとされていました。アート・スクールの学生やファッション・デザイナーらの溜まり場と化し、"ブリッツ・キッズ"と言われました。ニュー・ロマンティックのルーツはクラブシーンから生まれました。
『ヒップホップ』
ヒップホップの発祥地はニューヨークのサウスブロンクス。1970年代当時、世間ではディスコが大ブームでしたが、アフリカ系アメリカ人の若者達は貧しくディスコに遊び に行くお金がありませんでした。そこで、彼らはサウスブロンクスのマンションや公園に集まりブロック・パーティーと呼ばれるパ ーティーをするようになります。DJがかける音楽で踊るブレイクダンサー、ラップするMC、そしてグラフ ィティーの要素が加わり、ヒップホップという文化が誕生しました。80年代前半ラップを世界に広めた伝説のグループRUNDMC。彼らが愛用したアデ ィダスのスニーカーやジャージが当時流行るなどファッションにも強い影響力を持っていました。スニーカー、ジャージ、ベースボールキャップなどのアイテムをファ ッションに取り入れたスタイル。そのスタイリングは数々の変化を遂げつつ世界的に広まり、ニューヨークで生まれたこのファッション は今やカジュアルルックを代表するものになりました。
-小話-
ジャージを着るのは『俺は運動着をおしゃれに着こなせるよ』という意思表明 で『B-BOYのために作られていない物をHIP HOPらしく着る』『シューズのヒモを緩める』『ハットを浅く被る』『アクセサリーたくさ んする』というのは、『こんな踊りにくい格好でもこんなに上手く踊れる』という アピールでした。因みに『B-BOY』とは、DJがターンテーブルを回し、ブレイクビーツをに合わせて踊る者、またはラップの合間 (break) に踊る者を「ブレイク・ボーイ (break boy)」あるいは「ビー・ボーイング (B-boying)」と呼んでイタチ言われています。また「ブレイキン・ボーイ (breakin' boy)」、「ビート・ボーイ (beat-boy)」と呼んだも言われています。
パリではアズディン・アライア(AZZEDINE ALAIA)が体のラインを強調したボディコンスタイルを発表しました。
80年代はスーパーモデルの時代でもあり、『ヴォーグ』をはじめとする各国の雑誌や広告で起用されファッションモデルは国際的に有名となりました。
1982年春夏のパリコレクションで川久保玲( COMME des GARÇONS )と山本耀司( Yohji Yamamoto)が作品を発表し、ファッション界に黒の衝撃を与えた。ヨーロッパの伝統志向が強まり、構築的なスタイルが支配するパリ・モード界において、パンクを進化させた破れて非構築的なスタイルは欧米ファッション界は大きな衝撃的で、賛否両論が沸いた。その革新性と芸術性は後々高く評価され、マルジェラやマックイーン等、後進のデザイナーに影響を与えるものとなった。「DCブランド」とも呼ばれ、その他に三宅一生のイッセイ・ミヤケや、高田賢三の「KENZO」などがある。
-日本-
80年代の日本も世界同様に女性の社会進出が進んだ時代でした。
「キャリア・ファッション」が浸透した。またバブル景気に突入し人々のブランド志向が強まり、どのブランドの服を着て、どこの街に出かけるかがアイデンティティーのひとつになっていきました。ファッションの方向性がそれぞれのライフスタイルに合わせて枝分かれし、ブランドのオープンや雑誌の創刊が相次ぎ、さらに渋谷、原宿、銀座といった街とファッションが結びついて、それぞれのコンセプトが強くなった時代でした。
80年代前半は「消費社会」を背景にニュートラ、ハマトラ、プレッピー、JJスタイル、ポパイ系などアメリカの大学生をロールモデルにしたライフスタイルが提案された。80年代半ばになると「若さ、変化」のカウンターカルチャーが盛り上がり、子供的な価値観が注目される。海外の模倣ではなく、初めて日本独自のファッションDCブランド(デザイナーズとキャラクターズの略)が台頭した。その後「ボディコン」「イタリアンカジュアル」「ヒップホップスタイル」等、次々と新しいカルチャーが輸入され、商品化され若者は消費していきました。ファッションはギャルソンが先導を切ったカラス族、JJによって注目されたハマトラ・アメリカンファッションからの影響でブレっピー、音楽的影響から光のエッセンスを表現したニューウェーブスタイルに、雑誌『olive』が打ち出したガーリーなピンクハウス風スタイル、リセエンヌ風、少年的な要素を持つ少女、末期にはDCブランドブームの反動から女性を中心にセクシー性をアピールするボディコンシャススタイル、デニムファッション、スポーツスタイル等、大きく広がりを見せていきました。
[メイクアップ]
女性の社会進出が進み、ファッションもカルチャーもパワフルに花開いた80年代。個性を強調し、自信に満ち溢れたスタイルがもてはやされました。ディスコ・ミュージックの流行や、「スタジオ54」のようなクラブに象徴されるように、奇抜さや快楽主義、急成長経済が称えられ、女性たちは再びアイメイクに挑戦するようになります。1984年には、より写真映えする、より大胆で発色のよいメイクアップ商品を求めていた2人のカナダ人のメイクアップ・アーティストによって「M・A・C」が誕生しました。
-ファンデーション-
この時代は、とにかくファンデーションを厚く塗り、色も元の肌の色より2トーン明るめの物を選んで、地の肌が見えないくらいまで塗るのが主流だった。アイメイクやチーク、リップの色が映えるように、またコントアリングの効果もあった。
-チーク-
83年頃から鮮やかな色のチークが流行し始め、チークは80年代のメイクにとってとても重要な要素ある。 色はピンクや濃いプラム。現在では肌の色に合った色を選ぶのが普通だが、当時はお構いなし。とにかく濃く鮮やかに、頬からこめかみ、額のフェイスラインにまで色を乗せたりもした。 頬骨の下、耳の前辺りは特に濃く乗せた。
-眉毛-
太眉がこの80年代を通して流行。80年代初頭、ブルック・シールズ(Brooke Shields)がその完璧な美しさで一世を風靡し、太眉ブームが起きた。 自然のまま、毛がふさふさしているが、アイブロウジェルを使ってしっかりとコーミングされているのが特徴。
-アイシャドウ-
青、紫、ピンクのアイシャドーがトレンドに。 単色で使用したり、何色か組み合わせて派手な目元を作った。トレンドの色の他には、赤、緑、オレンジ、ゴールドなどがある。
基本的に、まぶたから眉まで広範囲に乗せていた。
-まつ毛-
マスカラもブルーやグリーン、ピンクのものがトレンドに。カラーマスカラでさらにカラフルで派手な目元を作る。 もちろん黒のマスカラも日常的に使用されていた。
-アイライナー-
アイラインも80年代メイクを作る上でとても重要なパーツである。目の上にも下にもアイラインを引き、目尻でそれらを少しぼかすような、擦る様な感じで繋げる。目の下のラインを強調する様なルックも多く、ロックな雰囲気を作る。「アライグマ」と称される事もあるほど、大胆にアイラインを使用していた。81年にイギリス王室チャールズ皇太子と結婚をしたダイアナ妃が世界中でとても人気で、88年頃に、彼女が好んでしていたブルーのアイラインを目の下の粘膜の部分に使用するルックを世の女性達も取り入れ人気があった。
81年にイギリス王室チャールズ皇太子と結婚をしたダイアナ妃が世界中でとても人気で、88年頃に、彼女が好んでしていたブルーのアイラインを目の下の粘膜の部分に使用するルックを世の女性達も取り入れ人気があった。
-口紅-
とにかく鮮やかな、赤(チェリーレッド)、ピンク(青みのかかった鮮やかなピンク)、オレンジ、パープルのリップスティックが人気。また一緒にリップライナーを使うのが主流で、リップスティックの色より暗め(濃いめ)の色を用いて元の唇より少し大きめに描いて輪郭を強調した。 また蛍光やメタリックなリップカラーやグリッターの入った光沢のあるグロスも人気であった。86年頃から後半にかけてヌーディーなリップカラーが注目された。
今日の私たちが言う"ヌーディーカラー"ではなく、主張のあるヌーディーな色であった。
-ネイル-
ネイルももちろん鮮やかでエネルギッシュな色が好まれ、ネオンカラーやビビットな色がトレンドに。80年代後半にソウルオリンピックで活躍したアメリカのジョイナー選手がとても長い爪で注目を集め、日本でもネイルカラーだけでなく、スカルプチュアで自爪を長くしてネイルアートを施すというネイル技術がブームとなった。
-メンズメイクアップ-
1979~80年の毎週火曜日の夜にロンドンのコベントガーデンにあるクラブイベント。
デビッド・ボーイを敬愛し、衣装やメイクに可能な限り工夫を凝らし、自分だけのオリジナリティーや他にはない新しさを渇望する若者が集まってくる。いわゆる"ブリッツ・キッズ"が誕生。平等主義を掲げるブリッツには、ドレスコード(できるだけ個性的なファッションが良いとされた)を満たしていない者はどんな有名人でも追い返された。その当時、パンクロックが徐々に影をひそめ、とって代わるように現れたのがNew Romantic(ニューロマンティック)と言う音楽だった。グラムロックの流れをくみ、シンセサイザーを多用したエレクトロ・ポップが主体であるが、生演奏主体のバンドも多く存在するため音楽性は様々である。音楽性は様々であるが、ファッションにおいては中世ヨーロッパ的な衣装を身につけたり、派手な化粧をするなど、両性具有的なイメージを強調した外見に関してその特徴が一致する。この火付け役となったのがロックバンドのDuran Duranや、ブリッツでクローク係をしていたBoy George(ボーイ・ジョージ)がボーカルのCulture Clubが代表的である。このNew Romanticの誕生から男性の化粧をが広く広まったとされる。
日本でも、この頃には既にベテラン歌手だった沢田研二が歌謡界で初めて化粧を取り入れ、デビュー当時の TM NETWORKのファッションにもニューロマンティックの影響がうかがえる。この頃の日本ではまだまだ男性の化粧は受け入れられていなかったが、後に「フェミ男」「ヴィジュアル系」「ギャル男」など化粧をした男性が次々に現れた。
[ヘアー]
80年代はあらゆるものが誇張された時代であった。当時の男女が好んで着ていた肩パッド入りのバークスーツに高級時計等のアイテムの装着。女性の自立が盛に謳われ、社会に立ち向かうべく自分磨きの流れの1つとしてのエアロビの流行や社会において自分を大きく見せるための筋トレ。そしてオーバシルエットのファッションに合わせるかのようにヘアをボリュームアップしゴージャスに見せる事が1つのトレンドとなった。また、多様化、個人の時代が加述する。女性は男女平等をうたい社会進出しキャリアアップ、男性と並び強くあることを目指した。カルチャーでは、音楽とMTVが重要な役割を果たし、マドンナやマイケルジャクソン、ボーイジョージ等がポップカルチャーを浸透させ注目される。彼女らのキャラクター、生き様、ファッションそしてヘアそのものが多くの若者に影響を与えた。
この傾向はミュージックシーンに留まらず、映画スター、モデル、ロイヤルファミリーにも波及し、様々なカルチャーやファッションも組み合わさり、多くのヘアトレンドが生まれた。若者達は、単に一つの潮流に乗るのではなく、自らのアイデンティティと、憧れのアイコンを重ねて結びつけ、多様化したファッションと共に様々なヘアを表現していった。ミュージックシーンで言えば、ポップス、ニューロマ、ハードロック、テクノ、ヒップホップetc、様々なジャンルに枝分かれし、ある一定の傾向はあるものの、憧れのミュージシャンを模倣するという傾向がみられるようになった。ファッションはミュージックシーンにおいて人々にメッセージを伝えるための貴重な存在になった。たとえば、ニューウェーブはパイレーツスタイル→ツートーン→スカ→ハードコア→ゴシック等と変遷し、ビジュアルを変え、世界観を表現していき、若者は心酔した。映画スターの影響もまた、映画作品での役柄に合わせ、ビジュアルを変える重要性を示し、劇中のヒロインに人々は憧れを抱き、ヘアメイクをマネしていた。
<レイヤースタイル>
80年代当時はまだ、70年代後半のサーファーカットの人気が継続。ブルックシールズやミシェルフェイファーなどのハリウッド女優に見られ、洗練された都会的な印象を与えた。
70Sのレイヤースタイルは高い位置からのハイレイヤースタイルが印象的だが、80Sになるとレイヤーの位置は下がり、Aラインやスクエアなフォルムになっている。トップは根元からの立ち上げをしっかりして、リッチで若々しい印象。ボリューム感も有り、比較的重さは有るが、程よく軽やかで時に女っぽく、セクシーな印象を演出した。
レングスはロングスタイルで役柄や、個性に合わせてダイアナやメグライアンのような短いレングスのレイヤースタイル等、バリエーションも広がっていった。80S後期には、レイヤーやソバージュが徐々に収束していきワンレングスにトレンドが移り変わっていった。ブローで仕上げられることが多く、まとまりがあるが、軽やかでやわらかい風合いが特徴。
<ソバージュ>
80年代後半から90年代前半にかけて流行ったヘア。ソバージュ=「野生の」という意味を示し、髪の根本から毛先に分けて細かいパーマをかけて、波打つような自然なウェーブをつけたもの。無造作の中にとこどなく女らしさを感じさせる髪型であり、柔らかく量の少ない欧米人向けのヘア。欧米人にはそのままで適していたが、日本人で表現する場合、当時は、東洋人の固くて太くて多い毛量を調整する技術がなかったので、そのままだとボリュームがかなり出ていたのでムースで潰していた。85年ごろのサラ・ジェシカパーカーや映画『フラッシュ・ダンス』のジェニファービールス等が有名。ソバージュの原型は『フラッパヘア』として登場。全盛期は前髪にもパーマをかけ立ち上げるのが当時の流行だった。後半は、できるだけボリュームを出さないでウェーブをつけたいという要望に応える形でウェーブを出す位置が段々、スソの方へ移動していき、最終的には、毛先のみにウェーブをつけるというところへ行きつき、その流れで「ワンレン」ブームにはじまった。ソバージュは女性に示指されながらもハードロック、ヘヴィメタルのミュージシャンのような中性的、時に、男臭いイメージをもうえつけた。
<フラッパー>
ソバージュの前身でボブスタイルに強いパーマをかけたスタイルで、長さもアゴラインくらいでかなり短め。サイドにボリュームが大きく出るのが特徴でサイドパートでバランスをアシンメトリーにとることが多くやわらかくドライな印象。
<クリンプヘア>(ワッフルヘア)
アイロンで髪をはさんでつくるウェーブスタイル。細かい波状のウェーブでドライでやわらかい印象。ワンレングスベースでつくり、毛量調整の技術が追いついていないので大きく広がりボリューミーな印象。他には毛束を細かく分けて、きつく編んだみつあみにヘアアイロンで熱を加え、しばらく放置した後、束感が崩れないようにほどく。
日本では90年代にパフィーを筆頭に流行する。
<バングス>
80年代において、逆毛を立てて、前髪を立てるのが流行した。カーラーやブローで前髪を立てたり、前髪を少しだけ垂らして残りは立てるが流すのがポイント。
<ビッグヘアー>(フルボリュームヘア)
80年代はボリュームが最優先された時代。ロングでもショートでも量感が求められた。
初頭は髪は高ければ高いほど良しとされる風潮もあった。シンディーローパーやマテリアルガール時のマドンナは逆毛を立てたポニーテールでプロモーションしており、アレンジスタイルでもビッグヘアをあしらっていた。ヘアカラーもブロンドに根元が暗いルーツダーカーも流行した。ボリューミーなカールスタイルも代表的でヘビーメタルバンドでも多く見られた。特徴的なのは、前髪~トップの作りにポイントが有る。前髪からトップにかけてしっかり、ブローで根元の立ち上がりをつけて、逆毛をたて、ふんわりとしたボリューム感と空気感を重要視した。まとめすぎずに、無造作感をあえて残し、抜け感を演出している。
<パンク>
80年代は、常識を覆すようなユニークなヘアが登場し、マリア・ベレスのようなツンツンしたヘアが話題となった。80年代のパンクは、50年代ロカビリーのストレイキャッツが注目されネオロカビリーと呼ばれ話題となる。更に昇化して、ハードコアパンクが流行。
音楽的破壊性が極限に高まり、そのファッションとヘアは極限にハードになった。トロージャンヘア(長く逆だったモヒカンヘア)が特徴。パンク×ハードコア×ネオロカが融合することでサイコビリーが誕生。トップを残してサイドを刈り上げた(サイコ刈り)が特徴。
更にパンクの流れでゴシックが登場。ニューロマのグラムテイストを更に強調したものでホラー映画やゴシック文学の影響もあり、ダークに進化したスタイルとなっている。ヴィジュアル的に詩のイメージで死神のようなメイクに、バックコームドヘア(天までとどきそうな逆毛)がポイント。後に新たな音楽性を発展したジャンルで、ヘヴィーメタルが登場。
色装なメイクと共にロングヘアが特徴。細かいウェーブでオイリーな質感。バンダナを巻いてアレンジ。女の子は大きなアレンジヘッドバンドをリボン結びするのが流行した。
<ショートヘア×TONY&GUY>
タリア系イギリス人の4人兄弟が父のサロンを引きついだブランド。
ロンドン仕込みの繊細なカットにイギリス人の自由な感性が組み合わされ緻密なサスーンカットと一線を画した。4男アンソニーが頭角を表し、サイドとバックやアンダーセクションとオーバーセクションが極単に長さが変わり、つながらない。いわゆるディスコネクションカットが特徴。また、テクニック的にスライドカットも施され、カットスタイルの表現の幅を大きく可能性を広げた。特にショートスタイルに有効で、スタイリッシュでやわらかな女性らしいセクシーな表現に影響を与え、後に日本での2ブロックカットにも影響を与えた。
<メンズアンダーカットーシェーブドサイズ>
後ろやサイドに刈り上げつつ前髪に長さがあるスタイル。当時のミリタリースタイルとの相性もよく、エドワードファーロングが有名。トップの髪は短くなりすぎないよう伸ばしたままにしてえり足部を少し刈り上げ、上から被せるようにしてスタリングするのが主流。
<ワンレングス>
レイヤーソバージュが過度期を経て、ワンレングスのロングストレートのスタイルが脚光を浴びた。アズディンアライアによるボディコンシャススタイルと共に、女性の美しいラインをミニマムに表現した。80年代はヘアメイク、ファッションにおいて、自由で、派手で、鮮やかなものをミックスするのが特徴。
・コームクリップ
片方の髪をすくいあげるようにして、使われる事が多かった
・バンダナ
頭全体に巻き付けたり、(パイレーツロール)や、細くねじっておでこに巻いたヘッドバンド風アレンジをしたりする事も多かった。ハードロック等の音楽シーンでも、ガンズのアクセルローズ等が用いた事も有り、ロックアイテムとしても代表的。
・シュシュ
事務でワークアウトしたり、自宅での洗顔、時にレッドカーペットや、グラミー賞でつけていたほどのトレンドアイテムだった。
・リボン
当時、リボンはカジュアルな場だけでなく、フォーマルな場にふさわしいヘアアクセという認識だった。
・ヘアバンド
おでこをオフザフェイスにして、ヘルシーな印象や、凛とした潔さを演出したヘアはトップはつぶさずに適度にボリュームを持たせるのがポイント。
・ヘアラップ
ヘアバンドの進化系とも言えるアイテムで、マドンナが代表的
マドンナの影響力は強く、たちまち女性の間で人気になった。
・バレッタ
ティーンから大人の女性まで手軽にアレンジ感を出せるアイテムだった。
小さめのバレッタは90年代のトレンドとなるバタフライクリップの先駆けとなった。
・シニヨン
カジュアルにもエレガントにも使えるアイテム。
・ヘッドバンド
ジェーンフォンダがトレンドセッターで、80年代はワークアウトが流行していたが、
エアロビでの衣装選びは大切で、仕上げのアイテムとして欠かせなかっ
<メンズウルフカット>
当時のアメリカのロックミュージシャンに見られたスタイルでサイドを刈り上げ後ろ髪をのばしたスタイル。ロックミュージシャンの他、ケミカルウォッシュスタイルのメンズにも見られた。ケミカルウォッシュはオタクの定番ファッションという事もあり、このウルフスタイルは、マレットスタイル進化させたものである。
<Bボーイ/Bガール>
黒人特有のミニアフロやジェリーカールが有名。80S後期は当時政治的だったラップの内容は恋愛や夢へと変わり、ファッションも穏やかになった。デラ・ソウルやジャングルブラザーズが有名。ヘアはショートドレッドが有名でトップを細かくねじって、刈り上げ部分に複雑な刈り込みを入れたのが代表。ハイトップフェードはスキンフェードに高さを出したスタイルでソルト・ン・ペパー、ダグ・E・フレッシュ、キッド・アンド・プレイなどの新興ラップアーティストやヒップホップグループに人気のあるルックで、経過するにつれて、スタイルはさらに高くより構造化された形に進化し、すぐにヒップホップ音楽の黄金時代の象徴になりました。一方、B系女子はBガール又は「フライガール」と言われた。フライはスラングで「カッコイイ」の意味で、ワイルドでセクシーな印象。ヘアはソバージュでより印象づけた。フライガールは、後に日本での90年代の高校生の間ではやった黒人ブーム、ダンスブームにのっかり、ルーズソックスは当時の女子高生にとりいれられ一大ムーヴメントをおこした。
※ジェリーカールはEasy-E、IceCube、DJ.Quikなどが広めたがヘアメイクアーティストのジェリー・レディングによるものだった。
-日本-
・聖子ちゃんカット
松田聖子がデビュー当時から2年間していたヘアで80年代前半に若い女性の間で流行した。
70年代後期のキャンディーズの蘭ちゃんカットが影響を与えたと言われているが、海外のレイヤーカットの影響が見られる。ヘアーディメンションの飯塚氏が当時、担当している。
前髪は眉を隠す程度、サイドとバックは肩丈5~10cmの長さにハイレイヤーを顔まわりからしっかりいれたセンター分けのスタイル。サイドはリバースにバックは内側にゆるくカールさせたスタイルで多くの当時の女性アイドルが取りいれた。
・ソバージュ
80年代後半から90年代に流行。特に日本ではカット技術で削ぎの理論が確立していなかった為、ボリュームがかなり出てしまいムースでつぶしていた。
・ワンレンヘア
ストレートで長めの髪を一定の長さに切りそろえたヘア。ブローで丁寧に伸ばし髪のツヤを丹念にに出しこだわって仕上げられていた。ワンレンなボディコンと共にディスコブームのお立ち台ギャルに好まれたスタイルで「ワンレンボディコン」、ワンセットにした言葉も流行。遊び人で軽薄なイメージを与えた。
※本来、アズディン・アライアが提案したのは、自己主張や解放、健康的な女性であったが、日本では夜の遊び着として解釈。
・トサカ前髪
ワンレンの派生系でトサカのように前髪を立ち上げたヘア。当時の女性は前髪を外巻きにしてカーラーを巻いてそのまま寝て、朝出かける前に超ハードミストでしっかり固定していた。それに加えて、眉毛を太くするのが当時の最先端であった。
・オリーブ系
80S「雑誌オリーブ」により多くの少女達に影響を与えた。ただのかわいい少女にとどまらず少年ぽさがあったり、ナチュラルだが個性があるような少女像がうち出された。少年ぽい少女、かわいいの中にスパイスがほんのり少しの違和感が特徴。オリーブ誌面でのロケ地はパリやパリをイメージさせるようなシチュエーションで作られていた。リセエンヌのようなふんわりゆれ動くかみの動きが特徴。
・2ブロック
日本でも2ブロックスタイルが流行。下部は刈り上げ、上部はボブベースになっており、豊かなボリューム感がある。吉田栄作が人気に火をつけた。刈り上げが新鮮でバックにポニーテールにしたりとおしゃれな印象。
・テクノカット
1979年、ヘアスタイリストの本多三記夫氏が考案。※名前をつけたのは本人ではない。
本多氏が専属を務めたYMOの3名がこのヘアを愛用し、テクノというジャンルにかけてテクノカットと名付けられた。彼らは人気と共に、男女共に幅広く人気が出て80年代の代表的スタイルとなる。2ブロックと一線を画す特徴はもみあげの部分である。鋭角に整えられ、エッジを出すと共に顔つきをシャープな印象に見せる。サイドはもとよりえり足にもしっかり目に刈り上げを入れ、上部は長めに残し被せて、長短の差を出し、コンパクトかつ、個性的なイメージを作り上げた。当時、刈り上げをするのは中高年の男性くらいだったが「カッコイイスタイル」とは程遠かったが、最先端のスタイルとして流行。
・チェッカーズカット
テクノカットよりも前髪部分が長く、ふぞろいにしたスタイル。その後一時男性アイドルなどの定番的な屁スタイルとなる。チェッカーズのフミヤがファッションと共にトレンドセッターとなる。
・リーゼント
1950年代ブームが到来。女性では50S風のポニーテールが再ブームになる一方、男性ではキャロルの矢沢永吉がフィフティーズのファッションリーダーとなり、彼らはローラーズと呼ばれた。額はM字を強調するために、生え際にソリをいれたリーゼントがなされた。キャロル、宇崎竜童、横浜銀蝿が不良少年の間で人気となり大きな影響を与えた。
※関東ではツッパリ、関西ではヤンキーと言われた。
[画像・日本] https://pin.it/3ZAb9mn
[インスパイア画像] https://pin.it/mJffEcg
[映画]
・グレムリン https://youtu.be/B-uYP8o-gvY
・グーニーズ https://youtu.be/hM5cj8OZZhk
・バック・トゥ・ザ・フューチャー https://youtu.be/Psxktpxkc6o
・スタンド・バイ・ミー https://youtu.be/pHa4pvspCqc
・セーラー服と機関銃 https://youtu.be/tmKmDeksMaM
80s舞台の現代映画
[その他の映画] https://pin.it/2knNCL9
[音楽]
1980年代の音楽はMTVの登場とその人気により、アーティストに付随するイメージはかつてないほど重要になった。ポップスターとその音楽は、MTVの助けを借りて、ファンのイメージへの関心を高めていった。マドンナ、マイケルジャクソンなどこれまでにない新しい種類のスターが誕生し、そのジャンルの象徴となって新しくファッションやヘアスタイルなどへ影響を与えた。また、テクノロジーの発展によりCD、ウォークマンなどが一般市民に普及し、音楽はより身近なものへと変化した。シンセサイザーの使用に関連してデジタル録音の使用が増加し、シンセポップ音楽や非伝統的な楽器を特徴とするその他の電子ジャンルの人気が高まっていった。1980年代は大きな所得格差の時代の始まりを反映し、豊かさに焦点を当てた音楽に反映された。1980年代後半、グラムメタルは米国および世界で最大かつ最も商業的に成功した音楽ブランドになった。ヒップホップ、ニューウェーブ、ヘアメタルなど、いくつかの新しいジャンルが登場し、今日の音楽に影響を与えている。
ディスコ、ファンク、ソフトロック、R&Bなどの西洋の影響を受けた、大人志向のジャンルであるシティポップも、日本のテクノロジーブームで人気を博し、このジャンルでは杏里と山下達郎などが人気だった。ザ・スター・クラブやG.I.S.Mなどのバンドで日本のハードコアが登場、日本のアイドルグループおニャン子クラブなどが10代のファンと若者のファンのアイドルグループとして始まった。
Spotify 80s hits
City pop
シティポップ Japanese mix
Tokyo at night 80年代
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