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執筆者の写真Tadayoshi Honda

1950s (MEMBERS ONLY)


[社会情勢・時代背景] 

 1950年代は、第二次世界大戦後の世界を二分した西側諸国のアメリカ合衆国を盟主とする資本主義・自由主義陣営と、東側諸国のソビエト連邦を盟主とする共産主義・社会主義陣営との対立冷戦時代でした。旧枢軸国を含む西側諸国では、経済が急速に復興し、1920年代と同様の消費生活が行われるようになり白黒テレビが各国で家庭に普及しはじめテレビ鑑賞があたりまえになり、様々なテレビ番組が新しいアイデアや影響を大衆にあたえました。

戦後はさらにたくさんの女性が社会進出するようになり、都市近郊には郊外住宅が発達していきます。

 政治や文化などは保守化傾向になり、一部の人権拡大の要求は軽視されました。

こうした保守的な傾向から既存の文化や体制を否定し、それに敵対したことから若者文化が生まれ、1960年代のサブカルチャーの爆発的広がりに結びついていきました。


女性の社会進出 

-アメリカ-

女性の就業率は1948年から再び上昇し始め, 1952年には戦時下の生産のピーク時よりも200万人多い既婚の女性労働者がいました。独身女性の雇用も急増し女性の実質賃金の上昇や女性の雇用への障壁が緩和された時代でした。1950年代の終わりには,16歳以上の女性の40%が仕事に就いていました。


-日本-

 戦後の高度経済成長期に伴い少しずつ女性の社会進出始まります。男性は外で仕事をするのに対し女性は専業主婦になるかキャリアウーマンとして外で仕事をするかのどちらかに分かれました。女性の生き方・働き方の選択肢が広がった時代だったが、戦前に確立した「男性は仕事、女性は家庭」という意識は日本人の中に根強く残り、男性と差別されることも多くありました。


[ファッション]

1950年のファッションは男女ではっきりとした違いがでてきます。 男性はよりカジュアルな day-to-day スタイル、女性はエレガントでフォーマルでマッチしたアクセサリーを身につけるスタイルが主流になります。1947年にChristian Diorが打ち出したニュールックを基調としながらも、50年代半ばからはCristobal BalenciagaHubert De Givenchyなどによるスリムなラインも発表されはじめました。

ライン時代と表現され毎年のように新しいシルエットが打ち出されます。

その流れの中でバレンシアガはよりシンプルで機能的なデザインを追求していきます。

パリがファッションにおける絶対的な中心である状況は次第に変化し、戦後の大衆社会においてごく限られた人たちのための少量のオートクチュールではなく、既製服産業が拡大していくことでアメリカ独自のファッション産業が発展していくことになります。

マリリン・モンロー(Marilyn Monroeはこの時代のセックスシンボルで、映画紹介欄の中の一作品『7年目の浮気』で地下鉄からの風でスカートが捲り上がるシーンアメリカファッションはこの時代の象徴でした。

 50年代半ば、彗星の如く現れた”永遠の妖精”と形容される清純派女優のオードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn)は全く違うタイプの二人のヒロインですが熱狂的に人気がありました。これまでグラマラスでセクシーな女性が人気を博していましたが、青々とした爽やかな雰囲気に女性も男性も魅了されました。


ファッションと大きく関係のある音楽、ロックが生まれたのは戦後。ロックが世界中に知れ渡ったのは1955年の映画「暴力教室」のタイトルバックに使われたビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」と言われています。エルヴィス・プレスリーチャック・ベリーファッツ・ドミノリトル・リチャードカール・パーキンスジェリー・リー・ルイスなども普及に大きく貢献しました。


ロックとジーンズ文化の始まり

プレスリーのスタイル、黒の革のジャンパーにリーゼントがビート二クスファッション(ビート族)としてロックとともに広がった。そして、プレスリー以外にシンボルとなったのがジェームズ・ディーン。日本では1955年に石原慎太郎著作の「太陽の季節」が発表され映画化し若者達の人気を博しました。慎太郎刈りという前髪が長めの角刈りに、丸首シャツ、アロハシャツ、サングラスといったスタイルをとることで太陽族と主張する若者が多く出現しました。ロックミュージックの流行を背景に、1958年に開催された「日劇ウエスタン・カーニバル」と呼ばれる音楽フェスティバルによってロカビリー・ブームが日本に到来しました。


-小話-

 1957年モード界に一つの事件が起きます。 クリスチャン・ディオールの急逝と、後継者イヴ・サンローランのデビューです。 パリ・オートクチュール黄金時代の象徴であるディオールから、この後のプレタポルテ時代を決定づける天才デザイナー、サンローランへバトンが渡された瞬間でした。実際、サンローランがディオールの後継者として仕事をしたのは徴兵が絡んでしまい3年に満たない期間でしたが、自身のブランドを立ち上げた後は、"イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ”にて本格的にプレタポルテ・コレクションを発表を開始し、ギ・ラロッシュピエール・カルダン、そしてカール・ラガーフェルド等と共にプレタポルテ普及の立役者となりました。 そして70年代にはモードの主導権はプレタポルテへ移譲されていきます。


[メイクアップ]

1950年代は経済成長とともに化粧品業界も急発展し、より良い品質、新しい色など選択肢も広まります。社会にでて働く女性たちがティーンや主婦よりもさらにトレンディーで大きな顧客でした。50年代は40年代のナチュラルでシンプルなメイクから変わり、色の選択肢も増えたこともあり華やかでグラマラスな大胆なメイクに。


-ファンデーション-

より自然の肌の色に近いファンデーションでピンクやピーチベースのものが多い傾向にありました。リキッドやクリームやケーキファンデーションがよく使用され、マックスファクターのpan-cakeは相変わらずstapleとして人気でした。1953年にはパウダーファンデーションのcream-puffが発売され、これも簡単に使えるファンデーションとして人気がでました。オーバル型の顔の形がトレンドでそのようにコントアーが使われました。


-チーク-

1940年代よりもチークは控えめ。柔らかいピンクやコーラルなどを頬の高い位置に使いapple of the cheeksと呼ばれた。


-眉毛-

 ナチュラルか少し濃い目のペンシルで、隙間を埋め、綺麗に形をととのえた太めのアーチ型で、眉尻に行くほど細く、すこし眉尻を長く流すようにもかかれたりした。眉毛の太さは人それぞれではあったが、細眉は流行から外れていました。

-Eyeshadow-

 アイシャドウは単色をfinger tipで控えめにやわらかく目尻から眉毛の方へはね上げ気味にのせ、アイラインは主に黒色で跳ね上げたキャットアイ


-まつ毛-

上まつげは自然に、イブニングルックには下まつげにも。水で溶いて使うBlock mascara がメジャー。50年代後半はクリーミーなチューブマスカラがHelena Rubinstein、Max Factorから発売されwandでつけるマスカラが広まりはじめます。


-口紅-

 リップは50年代メイクにとって大切な要素。赤色が定番だったが深いブルベの赤色からライトなオレンジベースの赤まで様々な種類の赤色が登場しました。マットリップスティックで薄で塗り、フェイスパウダーを重ねたり、テッシュでオフしながらレイヤーし、しっかり仕上げられ、艶が欲しい場合はワセリンがつかわれた。口角あたりをオーバーラインにし、全体的に上下ともボリュームのあるフルリップ。


[ネイル]

 フェミニンな印象のアーモンドやオーバル型にボールドな赤、ピンクやコーラルもしく何もしないナチュラルなネイル。この時期のマガジンや広告に載っている女性のほとんどが赤いネイル。また、歯科医のFred Slackが割れた自分の爪を直そうとデンタルマテリアルを使い試行錯誤してアクリルネイルが生まれました。


-小話-

マックスファクターはロシアのボリショイ・バレエのビューティーアドバイザーで1909年にハリウッドに化粧品・演劇洋品店を開店したのが始まりです。米国で1937年に水を使うケーキ状ファンデーションのパンケーキに続き、1951年に発売された水なしで使うケーキ状ファンデーション発売します。1953年6月11日に日本へ進出。女性誌ではマックスファクター美容部長のハル・キング氏の対談で「ファンデーションをベース、シャドウ、ハイライトの3色使った方法や頬紅の入れ方、油分の入ったファンデーション類のクレンジング方法など。最近のお化粧は個性美を生かすことに重点がおかれその人のお顔の中で良いところ、特徴をより美しく生かすようになりました。眼の美しい人なら眼ばり(アイライン)を入れたり眉の形に変化をつけたり、唇に自信のある人はくっきり描いて強調するとかいうよに、また、白っぽいお化粧はすたれ肌色か、ややダークな油性化粧料(ファンデーション類)を使って生きゝとしたお化粧が好まれます。」と今でも納得できる内容をお話をされています。


[ヘアー]

1950年代は戦争からの開放感、新しい時代への期待、貧富の差が縮まり豊かになってきている事から自らを美しくしたいという欲求が生まれたことにより戦前の1930年のように映画女優をアイコンとした。大人の女性達は、戦時中の質素で禁欲的な秩序や身なりを強いられる事から解放され、再びレディライクでエレガントな装いを求めたことにより多くのヘアトレンドが生まれた。 当時の女性の理想はグラマラスでセクシーなマリリンモンロー或は、エレガントなイメージのグレースケリーが象徴的だった。精神的にゆとりができ、美しさに磨きをかけられるようになり、体重管理、ボディラインのコントロール、メイクやヘアに時間をかけ完璧に求める風潮になり、ヘアスプレー、ヘアオイル、ヘアクリームの普及により、ヘアスタイルのトレンドに大きな影響を与えました。家柄や貧富の差が小さくなることで、誰でも自分の個性を演出できるようになり、ファッションとヘアメイクによって見た目の年齢や、又、好きな女性像に近づけるように演出するようになりました。

一方、若者の影響も隆々に存在感が強くなりました。高校や大学への進学率があがり、彼らは勉強だけでなく楽しく過ごす事に重きを置き、ロカビリーやダンスパーティー、ダイナーでのおしゃべり、ジェームスディーンに代表される反抗者への憧れが象徴となっていきます。また、デパート等でのマーケティング会議等への発言権をもつようになるなど、60年代の若者文化のサブカルチャーの誕生へと繋がっていきます。

<カーリーヘア>

1950年代で代表的なヘアの一つはマリリンモンロー(Marilyn Monroe)のカーリーヘアにみられます。カーラーやコテで巻きしっかりと逆毛を立ててからボリュームとウェーブをつけヘアスプレーでスタイルをキープし、より女性らしくエレガントなヘアデザインが特徴。

レングスはアゴから肩下ぐらいのレングスが多く、バング→サイド→バックへと大きなカールがつながり動きをつけたサイドパートのカールデザインが代表的。フォルム自体は重いがなかにはフィンガーウェーブ風の大きな曲線を見せながら30年代、40年代時よりも動かす事で表情豊かなフォルムを演出している。またフロントは、大きく立ち上げるスタイルも見られ、グラマラスでゴージャスなイメージを演出している。1950年代は電髪からコールドパーマへの移行が始まり、パーマがヘアサロンの定番となっていきます。また、シルクのスカーフをシニヨンの根元に巻く等の小物使いもみられました。まとめ髪としては、ポンパドール、ポニーテールをまとめたシニヨンやロールヘアが流行し、コールドパーマが浸透したことでスタイルのバリエーションが増え、やわらかくドライな質感や抜け感を感じたりなど、より個性を表現できるようになりました。

<セシルカット>

1957年仏映画『悲しみよこんにちは』にて、ジーン・セバーグ(Jean Seberg)がヒロインのセシル役で出演し、セシルカットと呼ばれ流行しました。



<ピクシーカット>

サイドとバックバングを短く切ったショートスタイルでヘップバーン、ジーン・セバーグ、エリザベス・テイラー(Elizabeth Taylor)が有名。



<ヘップバーンカット>

 オードリーヘップバーンが「ローマの休日」で王女という立場から一人の女の子に変化する印象的なシーンで有名。改めてヘアによってドラマチックに女性を変える事を示した。

 前髪ともに全体にカールして、サイドはぴたりと後ろに流したスタイルで、上品で優雅さを出しながら時にキュートなイメージを残した。

 一方『麗しのサブリナ』では前髪やサイドは横に流し、バックはえり足いっぱいに切られ、大人っぽいショートカットとなりクールで洗練された印象となった。

 ヘップバーンのショートは映画の影響もあり、自由、或は解放の象徴とされました。

セシル・ビートン(Cecil Beaton)とのフォトセッションでは、アンドロジナスな少年のようなヘアで眉とのアンバランスさが女性らしさを生む不思議な感覚がありました。

<シックバング>

 1955年の『プレイボーイ』誌に登場し、ベティ・ペイジ(Bettie Page)によって人気が出た。1940年代はきれいに前髪を上げ、おでこを見せるのが主流だった為、大きな変化とも言える。 前髪が無い場合にはアレンジしてロールにまとめて、重たいバングを演出しました。

<ペジーボーイ>

 内巻きとなった前上がりのスタイルのことで中世ヨーロッパの貴族に使えていた少姓(ページボーイ)の髪型に由来1950年代は肩につくかつかないくらいの内巻き。60年代はそのままの形で短くなった内巻きのスタイルがトレンドに。尚、女性のヘアスタイルとして登場したのは30年代のハリウッド女優のスタイルですでに見られていた。ページボーイが流行していたのは貴族への憧れと言われ、前上がりのロングスタイルにカーラーを内巻きにしたスタイル。


<イタリアンボーイカット>

イタリア映画女優のジーナ・ロロブリジーダ(Gina Lollobrigida)等がアイコンとなり流行したショートヘア。不ぞろいなカットをして毛先をランダムにカールさせているのが特徴でイタリアの少年のヘアカットにヒントを得られている。美容師のマルセルがボッティチェッリ、ベリーニ、ミケランジェロの3人を起用したイタリアンボーイヘアカットのバリエーションやモデルのアイビー・ニコルソンも有名。



<ポニーテール>

 普及したのは1950年代のアメリカで、キュートで活発なイメージ。

オードリーが普及のいちやくを担っている。(仏ではフジリッドバルドー)

顔まわりの髪をしっかりとおくれ毛を出さないようにていねいに仕上げるのがポイントで、結ぶポイントは高めにし、テールの部分も散らさずに大きくまとまったカールをつけていました。 前髪はポンパドールにしたり、ロール状に、或はそのままのこしてキュートな印象を出したりして、前髪だけでも多彩な表情を演出し、50年代ロックンロールと共にオールディーズファッションが流行した際に女性に好まれ、バービー人形の髪型としても知られました。当時のアメリカンスタイル等にも見られ自分達の自由を主張したダンスホールでジルバを踊る若者にもお決まりのスタイルの一つでした。



<ロカビリーロール>

 ロカビリーの自由さを表すヘアとして代表的なのがリーゼント。

このリーゼントの女性版はバングが特徴的で全体的にカールを施してまとめるのがポイント。基本はフロント~サイドをまとめて、後ろ髪を巻いておろすのだが、全てアップにすることもある。前髪をアイロンやカーラーできっちりとカールし、巻き込んでぴんで留めていくのだが、小物としてバンダナやリボンを使うことも多くみられました。

このスタイルで一番のポイントは前髪の作り方で、ロカビリーロールを応用してバングをカールしてから額を出すようにまとめ上げたスタイルをピンナップスタイルという。


-メンズ-

<ダックテイル>

 ダックテイルは、側頭部から後頭部をポマード等で両サイドの髪を流し、後頭部をIの字型にピッタリと合わせたヘアで後頭部にまでこだわりがあり、くしでいかに美しく色気のある曲線にするかが重要だった。エルビスプレスリーの影響で世界的に流行し、エルビスプレスリー以降ロカビリーファッションの象徴となり、エルビスカットとも呼ばれた。当時のロカビリーの音楽がファッションは時として『反抗』の象徴となっている。ダックテイルはヘアが「アヒルのおしり」のようになっている事から呼ばれているが、日本ではリーゼントと呼ばれるが和製英語である。グリーサーはポマードやトニックでガチガチにしていた。この髪は一日中キープするのには何度もセットする必要があり、ジーンズやシャツのポケットにくしを持ち歩くのが常だった。この手のスタイルは英ではクイックと呼び、テディボーイ達が好んでスタイリングしていた。第二次大戦中、男性は短いヘアが規範となっていた反動で戦後に流行した。つまをそのガールフレンドであるテディガール達は、彼らにならい、フロントを大きくポンパドールにしたり、ウェーブをつけて女性らしさをとり入れながらクールなダックテイル風として彼らと行動していた。フロントの盛り上がっている部分はポンパドールと呼んでいました。


<テディボーイとテディガール>

 テディボーイは1950年代の不良少年に流行していたスタイル。イギリス王国のエドワード7世風のロング丈テーラードジャケットとスリムパンツが特徴。

決して裕福ではなかったが仕立服の本場であるロンドンのサヴィルロウでジャケットをオーダーするというこだわりでした。 テディガールは彼らの彼女で、同じくジャケットを着こなし当時の女性のファッションとしてはかなりの異色。ドライで強めのウェーブの髪をラフに上部でまとめて当時のエレガントでフェミニンな風潮と一線を画した。一方、ファッションはエレガントでスタイリッシュに決め、新たなファッション感を生んだ。




<GIカット>

 アメリカ兵に多い短髪で角刈りに似たヘアで、アメリカ人兵士がヘルメットで被りやすいようにしたのがはじまりで、Government Issueの略。朝鮮戦争以来、日本の若者の間で流行。




<アイビーカット>

七三に分けたショートヘアで前髪を上げて、全体に清潔でスポーティーなイメージのヘアはアメリカで親や学校当局によって好まれアイビーリーグの大学生の間で流行しアイビーカットと呼ばれました。





[50S 日本画像] https://pin.it/6m5tcsT

[インスパイア画像] https://pin.it/7y6kYC6


[映画]

ローマの休日    https://youtu.be/fM9634oLr2I

・7年目の浮気  https://youtu.be/fJgC549mpRk

・バラの肌着     https://youtu.be/y5RMc_cQw4U




50s舞台の現代映画




[音楽]

1950年代は変化の時代でありブラックミュージックが広がり多くのアフリカ系アメリカ人のミュージシャンが名を馳せて成功を収めました。黒人音楽であるR&Bと白人音楽のポップスからロックンロールが生まれ、黒人と白人の間のギャップを埋め、さらに公民権運動を促進するのに役立っていきます。映画やレコードの影響もありヨーロッパではアメリカの音楽が人気になっていきました。これらのジャンルは未来の音楽への道を切り開き、この10年間は​​、現在聴くすべての音楽に影響を与えた革新の時代になりました。


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