[社会情勢・時代背景]
1939年6月、第二次世界大戦がはじまり1945年まで続きました。アメリカ、ソ連、ドイツ、日本、イタリア、フランスなど全世界に暗い影を落としました。 世界中で多くの国、都市、民族、民間人、捕虜が犠牲になり男性が戦場に駆り出されたため女性が再び各産業を支えました。また、戦争は食料、生活必需品、衣類や繊維製品も世界的に物資の不足を招きました。アメリカでは多くの軍需工場で女性が工員として働くことになり、他の大国に比べ遅れていた女性の社会進出を後押しすることになりました。終戦後、ドイツは連合国によって東西に分断、社会主義国の中華人民共和国の成立、資本主義の大韓民国(韓国)が成立し、北側に社会主義の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が成立、アジア・アフリカの多くの国が、植民地支配から解放され独立をはたしていき、日本も戦後復興に向け民主化を進めるなど世界各国で情勢が大きく変化していきました。戦後以降の15年間で、米国は驚異的な経済成長を遂げ、世界で最も豊かな国としての地位を固めました。 テレビは1930年代に開発されていましたが、広く販売されるようになったのは戦後になってからで、徐々に一般家庭に普及していきます。





・戦争とファッション
衣類や繊維製品も世界的に不足し多くの国で統制や配給がはじまり自由に衣類が手に入らなくなります。 そのため服装は活動的で機能性に富み、かつ布をあまり使わない経済的なものになっていきました。比較的豊かな人々も「お金持ちに見えるのはよくない」と地味で質素な装いになりシンプルな服装になっていきました。ブラウスやセーターと短い丈のシンプルな動きやすいスカート、ボックスコートなどが特徴。ストッキングの不足によりソックスやストッキングを穿いているように脚のボディメイクをするようになり、低いかかとの靴、大きな鞄、ナチュラルで健康的なメイクなどもとり入れられました。衣類に限らず石鹸が不足したため、髪型はまとめ髪やショートヘアー、髪を覆うスカーフやターバン類などが多く用いられました。1940年5月にパリが占領されその他の欧州も戦場となっているうえに、デザイナーの多くは出征や亡命などもありパリ・コレクションも難しくなりアメリカを意識した既製服業界の意向も考慮しなければならなくなり、独自のアメリカファッションの発展へと繋がっていきます。


1945年、戦争は終わったが欧州も日本もまだ物資や衣料の不足は深刻でであったが、フランスにとって服飾産業は大切なものであったためパリのファッション業界はすぐに動き出しディオールの『ニュールック』と呼ばれる細いウエストに長めのスカートといった、30年代に理想とされていた"優雅な女性らしさ"そのもののようなスタイルが戦時中に抑制を強いられた世界中の女性達を魅了しました。
アメリカのファッションはパリに依存していましたが、第二次大戦を境に百貨店は既製品を主軸とした自国のデザイナーの製品を売り出すようになります。この時代に活躍したクレア・マッカーデルが打ち出していたスタイルはスポーツウェア(カジュアルウェア)をベースにしたシンプルで機能性が高く幅広い層が着用できました。彼女はバイアスカットの女王と呼ばれたフランス人デザイナーヴィオネの影響を受けてバイアスカットを使用し、着心地の良いデザインを追及しました。例えばニュールックもそのまま持ち込むわけではなく、アメリカ型の実用性を組み込んだ上でライフスタイルに浸透させています。
特に、40年代後半から50年代にかけての女性ファッションはシルエットを強調したもので、絞ったウエストラインに豊満なバストラインが女性の理想像となっていきます。


1940年初頭の日本は、和服と洋服が混在していた。 防空訓練などはもんぺ着用、男性と学生や若い女性は洋装、家庭の主婦や地方では和装が多かった。1940年7月以降、過度な贅沢は禁止され華美な洋装や派手な柄や袂の長い和服は非難される風潮になりました。

[メイクアップ]

第二次世界大戦開戦に伴い、戦地に赴く男性の代わりに女性たちが工場で働くようになり、化粧品などの物品は制限されました。その結果、コスメの中でも特にアイメイクはより実用的で、控えめなものに変化。ベージュやライトブラウンのアイシャドウにマスカラを足して、眉を整える為にバームを塗る程度でした。一方で、この時代現れたピンナップ・ガールは士気を高めることを意図して、くっきりしたアイメイクとバームでツヤを足した赤リップのルックを生み出し、「美女が家で夫の帰りを待つ」というプロパガンダを広めるために利用されました。戦争によって高揚された愛国主義は女性の美の習わしをも変わっていきました。この時代のメイクは全体的にリップが象徴的。
ファンデーション・パウダー
ファンデーションの色は基本的には自然な色だったが、そこに少しだけ “Healthy glow”(健康的な赤み、火照り)を足した Sun-kissed lookと Slight tanned lookが生まれた。
いろいろなブランドが「マット」と「艶(光沢)のある」ファンデーションを売り出していました。その中でMax Factor’s Pan-Cakeはまず映画用に開発されたが、一般にも販売を始め1930年代後半に大きな成功を納めた。 1948年 Pan-Cake’sの成功を受け Pan-Stikというファンデーションを売り出しました。
ファンデーションを定着させる為に Pressed powderプレスドパウダーが使用された。肌をマットに保つ為にも重要であった。パウダーも素の肌の色と出来るだけマッチしているべきだが、Sun kissed glowな少しブロンズの色味を加えた明るい色味は女性達をフレッシュで若々しく見せました。
チーク
当時はルージュと呼ばれていたチークは控えめに使われていて、色の種類も多くありませんでした。形状はクリームか粉状でコンパクトか厚紙でできた小さなポッドに入っていました。色はピンク系のピーチ、コーラル、ラズベリー色が人気がありました。
(↑右側が正しいチークの位置)
色を頬にのせ外側にブレンドしながら広げる事で、ほんのり色付いたソフトで自然な印象に仕上げており、クリームタイプの物はファンデーションに少し混ぜ込んで塗布し自然な色に見せたりもしていました。 戦時中はリップスティックをルージュの代わり使い、着色が良い為長持ちしていた。
眉毛

この時代の眉は毛流れのあるかなり自然な印象で、毛抜きで抜いてとっても細くするようなことはなくペンシルでアーチのある曲線的な形を作り仕上げていた。アイブロウペンシルは毛の色より少し暗めの色を眉毛の上にラインに描き足しそれに沿って毛流れを整えルコとで自然でソフトな印象を作っていた。 また、ペンシルは使わずにワセリンを毛になでつけてアーチ型を作る方法もみられました。
アイシャドウ

アイシャドーはとてもナチュラルな色を使用するのが一般的で基本的に単色使いでまつ毛の上からまぶたの部分だけに、夜の装いの時は眉の方まで指でブレンドしながら広げアイシャドウを目の色と髪の色に合わせて色を選ぶべきという考え方で、 ブルーの瞳にはブルー・グレーのシャドウ グリーンの瞳にはグレーのシャドウ、 ブラウンのシャドーはヘーゼル、ブラウン、黒の瞳に使用していました。また、ドレスの色に合わせるか、シルバーかゴールドを色のシャドーに足して使用される事も多くみられました。目尻の外側に広げてドラマティックに見せるといった事も、眉の下にハイライトや影を入れることもしませんでした。
まつ毛
多くの女性達が黒か茶色のマスカラを上下のまつ毛に使用していた。ワセリンをまつ毛に塗るだけの人も中にはいました。マスカラは液体の物、ペースト状やケーキタイプのものがあり小さなブラシで塗布しました。少しの水か唾液をケーキタイプのものに加えて使用することでより濃くはっきりせることができました。アイライナーはアイブロウペンシルを使用してまつ毛のラインに沿わせて引く程度であったが、40年代後半になると、50年代に続くアイライナーの入れ方がされるようになっていきます。
口紅
40年代と言ったら赤いリップというくらい重要な要素で、色味は青味かかった赤からオレンジ系の赤の間の色までありました。 季節によって少し暗い赤を使用したり春には少し明るい赤を使用したりもしました。当時のリップはマットであったため、少量のワセリンをのせ少しグロッシーなツヤを出すこともありました。また非常に着色が強かったために結果的に戦争中は節約になっていました。
Hunters Bow lip
女優のジョーン・クロフォードとマックスファクターによって生み出されたこのルックは上下の唇の大きさが一緒で左右対称のシンメトリーラインでふっくらした印象が特徴。唇が薄い場合は元の唇より大きく描いてふっくらと見せていました。
1948年にリップペンシルが登場し、より正確なリップラインが描けるようになりました。
[ヘアー]
1940年代は第二次世界大戦によるファッションの低迷、その後に訪れたエレガンスの復活等、目まぐるしい変化が起きた。対戦中は街から男性が消え、女性達は、工場で働く事を求められたがヘアが決まらず欠勤する事が度々あり、そのため一部の工場では
ヘアサロンを工場内に設置しました。美しさは、特に戦時中、女性の士気を維持する重要な役割でした。又、服は資源不足と医療統制が重なったこと、愛国心を示す事が求められ作業用の服や質素な服装、又は男性的な軍服風の民間服の着用が求められた。

故に、女性達のヘアスタイルは事故防止のためロングヘアを禁止を促す為、アメリカはヴェロニカレイク に彼女のトレードマークである長い髪の毛を切るように依頼しました。Uラインの前上りのフォルムで前髪はなく肩までの長さを保ちカールさせるスタイルは女性らしさを唯一表現するものとしてヴィクトリアロールの流行へと繋がっていくとともに、アメリカの女優ルシル・ボールが自身の映画で好んで行ったプードルカットも流行していきます。

また、汚れを隠す時やスタイリングできない時に髪はまとめる事が多くターバンやスカーフやバンダナを使用していましたが、ピンカールやロールアップした髪を工夫し組み合わせたアレンジスタイルも当時は多く見られました。
戦後になると、戦時中は男性的な服の反動から女性達はフェミニンでエレガントなファッションに移行していきます。トップのボリュームはなくなり綺麗にブラッシングされたなめらかなスタイルにボトムはロールスタイル、50年代に近づくにつれアゴの長さまで短くなりカールも抑えられていきます。
1940s アレンジ
1940年代の戦時中は衣服統制がある最中、帽子等はその規制は免れた事、仕事での機能性を考えつつ女性らしさは誇示したいという様々な要因が重なった為に帽子やスカーフ等を使ったアレンジ、ピンカールやロールを駆使して様々なアレンジが生まれたのは必然な事でした。この頃の代表的なデザインでバンパー・ビクトリーロール・プードルカットなどがあります。
バンパー
前髪の中にしんを入れてロールにしたり、カールにしたスタイルで前髪が復活のきざしを見せ、エレガントさが注目される中キュートさやコケィシュなイメージを与えイメージの幅が広がりました。
プードルカット
アメリカの女優ルシルボールが自信の映画が好んでしていた事により注目されスタイ。
コテの普及が始まった事もあり当時の女性は毎朝のヘアセットを時間をかけるのが当たり前の時代となり、髪を細めにカールさせてトップに盛っていくデザインがプードルに似ていることからプードルカットと呼ばれました。
ヴィクトリアロール
アメリカが発祥とされていてヘアスタイルで大戦の勝利を祈願して「ヴィクトリーロール」と名付けられました。基本はフロントからサイドにカールやロールをあしらいクルリとまとめ後ろ髪やボトムは大きく巻き髪状にしておろすのがスタンダードでトップからフロントも顔まわりを囲うようにしてボリュームがあるのが特徴。全てアップにする場合があり、後のロカビリーロールやピンナップガールのヘアスタイルの原型となりました。
メンズ
一般的なヘアとしては30年代を引き継ぎポマードでしっかりなでつけたようなスタイルではあるが、トップや前髪にさらにボリュームがでポンパドールと呼ばれた。
帽子を使ったスタイルとしては、トリルビーハットが流行。40年代はギャング映画が流行し、ハンフリーボガードに見られる様にトリルビーハット×タバコ×トレンチコートが一つのスタイルとなりました。また、大戦の影響としては、米軍人に見られるクールカットが特徴的で四角く刈られたヘアスタイルで、頭部がコンパクトになることでガッチリした体型を強調する効果があった。1947年には口ひげの愛好家の団体The Handlebar Clubが設立され紳士的なイメージの普及につながった。


1940年代の日本
1930年からの日中戦争〜太平洋戦争により30年代の華やかな時代は陰を落とし、自粛を求められ、大戦により『ぜいたくは敵』というスローガンや国民服令が出され当時普及していたパーマは海外から輸入されたものとして非国民扱いであり、パーマをしなくても華やかに見えるスタイル提案などがさレル一方、防空情報の処理要員として採用した女性軍属たる「女子通信隊員」達が公然とパーマネントをかけた髪型で制服を着用し軍務に就いている写真がグラフ雑誌に掲載されているなど女性のファッションへの関心の強さが伺えました。戦後はおしゃれを堂々と楽しめる時代となり、洋服は作るものであったものが店で選ぶ様に変化していきます。

物資が欠乏した戦時中はもんぺや着物を補修して着ていたが戦後はそれらをスカートや洋服に作りかえリメイクする事が増えるとともに洋裁学校も増えていきます。
そして、戦後初のファッションショーが銀座のキャバレー「美松」で開かれたり、ディオールのニュールックのシルエットや色使いをとりいれたパンパンガールと呼ばれたコールガール達が冷ややかな目はあったものの戦時中の質素で地味な服装で会ったことから、そのファッションは魅力的に映りトレンドセッターになるなどファッションは自由風潮へと変化していきました。まだまだ物資不足などから洋服には手が出せない中でも髪は長めのダウンスタイルで、すそにカールをつけたり、白粉はつけなくてもかなり強めの赤いリップをつけて女性らしさをだそうとしていました。
[40Sインスパイア画像] https://pin.it/5y7fCZ7
[映画]
・ヒズ・ガール・フライデー https://youtu.be/-IS-KvD2_Zo
・ミニヴァー夫人 https://youtu.be/QnCsax9Nd_A
・素晴らしき哉人生 https://youtu.be/lxNXtjGY_Us
・チャップリンの独裁者 https://www.youtube.com/watch?v=sq2SdsfZ7cY
・安城家の舞踏会 https://youtu.be/_ats-C4tJLo
・40年代舞台の現代映画
[音楽]
1940年代の音楽は人気のジャズとビッグバンドスタイルを中心に構築されました。Rosemary Clooney、Count Basie、Artie Shawのようなアーティストは、彼らの音楽を通して彼らのユニークなブランドを楽しませている群衆で音楽の時代を定義するのを助けた。これは第二次世界大戦の時代でもあり、差し迫った将来について前向きで前向きでありながら、国が経験している苦痛を反映するように多くの音楽活動が行われた。1941年のレスポールによるソリッドボディエレキギターの発明のような進歩も、人気のあったスタイルに影響を与えた。また、カントリー音楽は1940年代に大流行。
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